2013年2月23日土曜日
日光と富士が物語る第2次倭国東遷
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録20:31頁
《日光と富士が物語る第2次倭国東遷》
「日光と富士が物語る第2次倭国東遷」
フダラッカ山の子孫が、
「フタラ」の名を残しているというのは、
日光の二荒山(フタラサン)である。
このフタラが百済の語源だということを知る人はまだ少ない。
日光に「ニコウ=二荒」を当て字したものだと正反対に思い込んでいる人がいる。
しかし、もう説明の必要はないと思うが、
それは7世紀の大化大戦による敗戦で
東国へ大移動した百済倭国(フジワラ)勢力の遺跡であり、
百済=フタラ=二荒=ニコウ=日光と変化したのであって、
その名は富士山=百済山や、
甲斐=蝦夷などの地名と同系のものである。
だから日光は大化改新によって倭国が東遷した後の、
観音の聖地=普陀落迦山=フタラ カ 山 だったのである。
そこには輪王寺があるが、
その正しい発音は「インノウジ」であって、
韓国で李を「イイ」と発音するように、
「リをイ」と発音する大隅語~韓国語系の発音をとどめている。
そして徳川家譜代の大名である井伊家のイイも、
同じく倭国東遷の貴重な文化財なのである。
卑弥呼当時は鹿児島の百済津香山。
次いで中国淅江省の普陀落伽山。
1次東遷後の奈良の百済香山。
2次東遷で二荒ケ山と変遷が読み取れ、
発音の風化が時代経過を記録している。
仮にどれかのフダラッカ山が偶然だとしても、
これだけのフダラッカ山が実在する。
どれをとっても古い日本列島に、
観音の故郷ボダラッカ山の子孫が実在したことは間違いない。
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