2013年2月10日日曜日
後漢時代の中国仏教史
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録20:18頁
《後漢時代の中国仏教史》
「後漢時代の中国仏教史」
これに続けて
「昔 漢 哀帝 元寿元年 博士弟子 景盧 大月氏王使 伊存 口授 浮屠経」=
「昔、漢の哀帝の元寿元年(B.C.E.2年) に、
博士弟子(博士僕射(ボクシャ)が正しい。
(魚豢の間違い)の景盧が、大月氏
(バクトリア国。アレクサンドロスの東征で、
ギリシャの1州になり、2世紀のカニシカ王の時代には
今のパキスタン北西部のペシャワールに都しで繁栄を極めた仏教国)
の王の使者・伊存(イヤーソン)から仏経の口授を受けた」と記録している。
これについて湯錫予(トウシャクヨ)著の
『漢魏両晋南北朝仏教史』は、
次のように説明している。
「伊存 授教之後 六十六年(永平八年、A.C.65年)
東漢 明帝 詔 楚王 英 言及 仏徒 按
光武 諸子類 好 鬼神 方術 済帝王 康 在国 不循法 交通 賓客」=
「イヤーソンが景盧に仏教を授けてから66年後、
後漢の孝明帝が楚王の英に与えた詔書中で、
先帝・光武帝の息子たちは皆、鬼神や方術に凝って、
済南王の康などは国にいても宗教上の客を
招き招かれて、国法など有って無いようなものだったが、それと同じだ」
と書いているが、
『後漢書』の「楚王英伝」には、
英は「建武十五年(39年)楚王に任命され、
同二十八年、楚に行く。
~浮屠(仏教徒)になり斎戒祭祀し。
永平八年~王と国相がやりとりした言葉の中には歓喜天恩とか浮屠仁祠の文字が見られる
などと記録している。
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