2013年2月18日月曜日
耶舎(ヤジャ)崛多と掖邪(ヤジャ)狗は同じ名前
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録20:26頁
《耶舎(ヤジャ)崛多と掖邪(ヤジャ)狗は同じ名前》
「耶舎(ヤジャ)崛多と掖邪(ヤジャ)狗は同じ名前」
戦後、多くの仏教論文と著書を世に問うた佐和経賢氏の『密教美術論』には、
「十一面観音の経典が最初に漢訳されたのは、
西紀五七〇年頃、耶舎崛多(ヤジャグッタ)によってである。
その経名は『仏説十一面観音神呪(しんじゅう)経』一巻だ」とある。
耶舎崛多は明らかにヤジャグッダであり、経名もほぼ同じであるから、
加納氏が紹介したものと同じであることは疑いない、
とすれば佐和氏の説では300年も後に中国に入ったことになる。
それにジャナグッタについては全く触れられていない。
これは一体?
どう考えればいいのか?。
その結論はあとにして、まずヤジャグッタを検討してみよう。
この名の「耶舎」は
ターラナータ Taranatha の『インド仏教史』によると、
アソカ王が、前非を悔いて仏教に帰依(きえ)したのは
「 Yaja arhant 耶舎阿羅漢(アラカン)」の弟子が見せた
不思議な現象によるのだとある。
卑弥呼の重臣・掖邪狗も、この「耶舎」公に対する当て字の可能性が強い。
掖邪狗は壹與時代になったあとも、張政を送る使者の長官に任命され、
率善中郎将として魏都洛陽まで行っている。
ヤジャグッタと記録された人物は彼の後身であるとすると、
彼なら観世音という仏名をつけたとしても何の不思義もないし、
我が国各地の最古の仏教遺物が、
すべて十一面観音であることもまた、
何の不思議もないことになる。
『My ブログ』
古代メソポタミア
歴史徒然
ウワイト(倭人):大学講義録
ウワイト(倭人)大学院講義録
オリエント歴史回廊(遷都)
古代史つれづれ
古代史の画像
ネット歴史塾
古代史ブログ講座
ネット歴史塾
ひねもす徒然なるままに
「終日歴史徒然雑記」
「古代史キーワード検索」
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
《参考》
古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
最新の考古学的発掘の方法
存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状
《装飾古墳》
「装飾古墳」
《考古学の最新発見》
「考古学の最新発見」
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿