2013年2月13日水曜日
中国の北伝仏教と南伝卑弥呼仏教との差
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録20:21頁
《中国の北伝仏教と南伝卑弥呼仏教との差》
「中国の北伝仏教と南伝卑弥呼仏教との差」
また人類が生存できる限界の激しい気象環境も宗教の内容を左右する。
同じ仏教でもラマ教の悪魔や怪物の仮面舞踏は、
そうした環境が悪魔や悪神の暴力によるもので、
それらから身を守り子孫を繁栄させるには、
仏の教えに従って身を慎み善を行って、
善神が悪神を退治る戦いに参加し助力せよと教える。
また農業が成立しない環境では、
畜産によって乳を飲み、殺して肉を食べ、皮を着る以外に生存の道がない。
争わず殺さずという釋迦の教えは、とうていそのままでは守れない。
殺生が容認される幅が、私たちからみれば遥かに拡大される必要があったのである。
だから北方へ進んだ布教団の教義は、
卑弥呼の名の実意「慈悲や愛」といった甘っちょろい観念論ではありえない。
中国へ西域から入った仏教は、
生首を提げた女性像が訶梨帝(カリティ)菩薩として壁画に描かれるような、
卑弥呼仏教とは正反対のものだったのである。
この鬼菩薩を鬼子母神(きしもじん)と訳して日本に紹介したのは日蓮で13世紀末である。
日本で過去に信じられて来た6世紀の仏教伝来は、
この北方仏教(北伝仏教)であって、
東南アジア経由の南方仏教(南伝仏教)だったソナカ=卑弥呼の仏教とは別物である。
「図」西夏の首都カラ・ホト遺跡の壁画
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