2013年2月20日水曜日
中国の普陀落迦山(フダラッカサン)は5世紀以後のもの
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録20:28頁
《中国の普陀落迦山(フダラッカサン)は5世紀以後のもの》
「中国の普陀落迦山(フダラッカサン)は5世紀以後のもの」
この結論が正しいことは、
次の有名な記録が明確に立証してくれる。
それは西晋が倒れて東晋になった後の、
安帝、隆安3年(399年)にインドへ取経に行った
中国の法顕(ホッケン)三蔵が、
その旅行記『仏国記』中に
「インドでは観音信仰が非常に盛んだった。
その本山はマラヤ国(今の南インド、マドゥラ一帯)の海岸にある
ボダラッカ山だと詳しく書いている。」
この名はパーリ語で
Bodharakkha ( Bodha 菩提)( rakkha 守護)で
当て字の普陀落迦山であり、死者の菩提を守るという意味が、
卑弥呼の宗教を「鬼道」と呼ばせたことに一致する。
この法顕の記事から、
中国の観音信仰について、実に多くのことがわかる。
それを順番にお話ししてみよう。
① 中国の観音信仰は佐和氏のいう570年頃でなく、
もっと早くから中国でも知られていたこと。
② しかしインドのようには盛んではなかったこと。
③ また、
中国の観音信仰の大本山である南中国・淅江省定海県の東にある
落伽山に伝わる
「観音大士がこの落伽山に化現したので、
この聖地を『南海』という略称で呼ぶのだ」
という伝承では、先に『落伽山』という山があって、
そこへ観音が出現したことになっているが、
④ この山の名は間違いなくインドのボダラッカ山を写したもので、
⑤ そんな山名は法顕がインドから帰った
5世紀初めまでは中国にはなかった名であること、
などが明確に理解できる。
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