2013年2月26日火曜日
観世音と卑弥呼は全く同じ意味をもつ呼び名
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録20:34頁
《観世音と卑弥呼は全く同じ意味をもつ呼び名》
「観世音と卑弥呼は全く同じ意味をもつ呼び名」
卑弥呼が少女時代に結婚した
ソナカ=足仲(ソナカ)彦・仲哀天皇は
熊襲や三韓を征服しようとして北九州死んだ。
これは「天の稚(わか)彦物語」にもなっている。
皇后の卑弥呼はそこに「廟」を建てて天皇を葬ったのち、
女王に共立されて九州連邦に君臨した。
その後 723年、元正女帝が僧満誓に福岡の観世音寺を改築させ、
同時に仲哀天皇廟の側に仲哀天皇皇后の神功皇后を祀る社殿を建てさせて、
それだけを「香椎宮」と呼ばせ、
区別するために仲哀天皇廟は「古宮」と呼ばせることにした。
「香椎宮」が官幣大社になったのは明治18年で、
仲哀天皇を香椎宮に遷座、
合祀したのは、大正4年になってからである。
これで卑弥呼と壹與が
『日本書紀』の神功皇后混同のせいで、大混乱しているが、
香推とは卑弥呼だけの名で、
単なる地名ではなかったことが、はっきりおわかり戴けたと思う。
香椎は 「愛・慈悲」という意味の、マレー語「kasih カシイ」への当て字だった。
卑弥呼は「愛・慈悲」という意味の、パーリ語「pemaka ペマカ」への当て字だった。
卑弥呼をマレー語系の人々は「カシイ・カシヒ」と呼び、
「生き菩薩」として崇敬していた。
とすると「観世音菩薩」というのは、
マレー語による「カシイ菩薩」への当て字のひとつで、
それはパーリ語の
「pemaka ペマカ=卑弥呼」菩薩と全く同じものだったのである。
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