2013年2月24日日曜日
インドには存在しない「観世音」菩薩
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録20:32頁
《インドには存在しない「観世音」菩薩》
「インドには存在しない「観世音」菩薩」
ところが、
そのインド・マドゥラ海岸にあるボダラッカ山の仏「観世音」菩薩は。
本当は「観世音菩薩」ではない。なぜか?。
その仏は「 Avalokitesvara アヴァロキテスヴァラ」という菩薩だが、
この名はどんなに無理をしてみても、「観世音」という名にはならない。
日本ではこれを
「観自在=自由自在に観る」または
「世間の衆生の音声を観じて解脱させる」
という意味の名だと教えてきたが、そんな固有名詞はパーリ聖典にもない。
この名はパーリ語で綴った短文なのである。
「アヴァ ava 」は「卑しい・下級の」という意味で、
「ロキ loki」は「世間・社会」。
「テス tes」は「それ・彼」。
「vara ヴァラ」は「願望・恵みを与える・最高・優れた・高貴」
という意味だから、
インドの人々がこの言葉を聞いて受ける感じは、
「卑しい身分の世間の大衆にも、
その願望する恵みを与えて、
最高に優れた高貴な人々にする」
という意味になる。
どこにも「観=見る」や「自在=自由自在」という意味はない。
それよりは「世音=世間の人の音声(願望)」というほうが、
はるかにマシだが、
こちらも「それを観じて=見て」「解脱させる=逃がす」だけでは
「その願望する恵みを与えて最高に優れた高貴なな人々にする」
という能力および御利益(ごりやく)が消えてしまって、
原文の意味に比べると余りにもお粗末な訳でしかない。
やはり駄目である。
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