2013年2月22日金曜日
普陀落迦山は鹿児島の聖地
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録20:30頁
《普陀落迦山は鹿児島の聖地》
「普陀落迦山は鹿児島の聖地」
「百済津(フダラッ)カ山」はどこにあったか?。
倭迹迹日百襲姫の朝廷記録「崇神天皇紀」をみると、
3年 磯城(シキ)の瑞籬(ミズカキ)の宮に遷都する。
敷根(鹿児島県姶良郡国分市の南部、港と川がある)
5年 民の死亡が国民の半ばを過ぎようとする。(『魏書倭人章』大乱起こる)
6年 国民流離、背叛。
天照大神の怒りが強く、困った崇神天皇が
倭の笠縫邑(カサヌヒムラ)に移す。
(『魂書倭人章』男王立つも国中不服、更に相誅殺、当時、数千余人を殺す)
この笠縫は首都の敷根付近のはずだ。
大隅にはこれに一致する地名がある。
鹿屋(かのや)市の笠野原と肝属郡の高山(コウヤマ)町である。
香山(カサン)→香山(コウヤマ)→コウヤマ→高山と変化した地名だ。
笠縫 笠野原 重日 (これは女帝、皇極・斉明天皇の名乗り)
(カサヌヒ) (カサンハイ) (カサヌヒ)
香山 百済ッ香山 =普陀落迦山
(カサン) (クダラ)(カサン) (フダラクカサン)
高山 (肝属郡 高山(コウヤマ)町)
(コウヤマ)
この香山はカグヤマとも読まれるから、
奈良の香具山・香久山は、その子孫である。
この高山町には富山(トミヤマ)という地名もあるから、
これが鳥見山に、
また官名の弥弥那利から
耳成山・耳梨山が生まれたことも想像に難くないが、
畝傍(うねび)山は采女(うねべ)制度ができた後世の名でしかない。
ところが神武天皇は「畝傍橿原宮」で即位し皇居にした。
後世の人とするほかない。
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