2013年2月16日土曜日
西晋・武帝の時、観世音を伝えた人物
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録20:24頁
《西晋・武帝の時、観世音を伝えた人物》
「西晋・武帝の時、観世音を伝えた人物」
中国で最も古い観音信仰の記録は、
卑弥呼の死後約10年後の魏の甘露3年(258年)に、
帛延(ハクエン)が翻訳した『平等覚経』の中で、
「光世観」という訳名で記載されているのが、
私たちのいう観世音菩薩のことで、中国にはこれより古いものはない。
次は中国の記録にはないが、
昭和初期の我が国観音研究の先覚・加納元氏がその著書で、
西晋武帝の時(265年~289年。卑弥呼死後約20~40年後)、
我が国の神功皇后の御時に、
ヤシャグッタとジャナグッタという二人の僧が長安の四天王寺へ行き、
『十一面観世音神呪経』という初めて仏名を
「観世音」と呼ぶ経典を中国語に翻訳したのだと発表した。
これによると卑弥呼当時はまだ中国には観世音菩薩という菩薩号はなかったことになるし、
その命名者もヤシャとジャナの二人のグッタだということになる。
しかし前記の中国の湯錫予撰『漢魏両晋南北朝仏教史』や、
馮(ヒョウ)承鈞の『歴代求法翻経録』などの研究書にはこの記録が見当たらない。
ただ『歴代求法翻経録』中の「西晋録」の最後に『若羅厳』という名前がある。
これは「若=ジャ、羅=ラ→ナ、厳=グッタ」への当て字の可能性が高いから、
これが本当に西晋時代に中国へ行ったジャナグッタの記録かどうか、
この人物はどこから中国へ行ったのか?、
そして何をしたのか?、検討してみょう。
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