2013年2月2日土曜日
仏教公伝は応神以後という迷信は覆った
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録20:9頁
《仏教公伝は応神以後という迷信は覆った》
「仏教公伝は応神以後という迷信は覆った」
曼荼羅というのは観世音菩薩や薬師如来などを信仰して、
病気を治し、健康を祈り、災厄を避け、子供を授かり、
一家が繁栄し、死後の安楽を願うために、難解な仏教哲学でなく、
眼で見て誰にでも理解できるように、宇宙の構造を図解し、
それが仏や菩薩によって構成され、
支配され、守護されているのだと教える、一種の「絵解き」教材である。
我が国では、それは真言密教だけの表現法であって、
密教が伝わった9世紀より前には、
図や像としては存在するはずがないとされてきたものである。
しかしそれはご覧の通り、この十二天曼荼羅と卑弥呼政権の国名配置や、
伊声耆の名乗りその他と完全に符合する事実を考慮すると根本的に検討し直す必要がある。
なぜなら過去の常識は、我が国への仏教公伝は、百済王・阿直支(アチキ)と王仁による
応神天皇時代、または百済聖王による538年だと信じて疑った者がなく、
神話の天照大神が仏教徒であったなどとは、考えもしなかったからである。
だが今、私たちは、その天照大神の父・イサナキの尊の名乗りと同じものが、
現実に仏教の曼荼羅に伊舎那天として実在し、現実に伊声耆として卑弥呼政権を支え、
魏の都・落陽へ使節として行って、率善中郎将の官位と印綬を受けた史実を確認している。
この曼荼羅そのものの伝来ではないが、
真の仏教公伝は卑弥呼以前だということはもう疑いの余地はない。
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