2012年9月3日月曜日

「橘」は種子島人を指す諷刺名



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録15:10頁

 《「橘」は種子島人を指す諷刺名
 「「橘」は種子島人を指す諷刺名

 この移動は、天智天皇時代に都で流れた諷歌が

 「橘は己(おのれ)が技々生(な)れれども、玉に貫く時、同じ緒を貫く」と

 支配者たちの同族意識を諷刺したことで、

 当時の政権支配者が、

 いずれも種子島出身者だった事実を明瞭に雄弁に物語っている。

 念のために書き添えると、

 橘の名は

 「タンネ(アイヌ語で狭長という意味)島=種子国→タジマ=

  但馬国(タヂバナ)=タヂバナ→タチバナ=橘」という順に

 変化して生まれているから、

 橘という名詞と、この諷刺が生まれたのは、

 彼らが兵庫県北部の但馬に移動した時期以後のものだとわかる。

 大神(オオミワ)神社はミワという社名ですぐわかる通り

 『三輪山伝説』の総本家である。

 とすれば百襲姫が開けて見て驚いたという櫛笥(クシゲ)も、

 この櫛長という名乗りが連想させたとみるべきだし、

 「大物主」は大仏の師または大仏尼師で、卑弥呼以外に該当者はない。

 すると実に奇妙なことがわかる。

 応神天皇を祭る誉田八幡宮の神体山は応神大皇陵である。

 だから箸墓が本当に卑弥呼=倭迹迹日百襲姫の墓なら

 大神神社の神体山は箸墓のはずだが

 事実は箸墓から2.5kmも離れ、方角もまるで違う三輪山が神体山である。

 また『日本書紀』は山名を三輪山でなく三諸山と書く。

 また森浩一氏らは、

 箸墓は考古学の年代測定でも卑弥呼より2世紀以上も後のものだという。

 どこからみても箸墓古墳は卑弥呼の大冢ではない。

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