2012年9月23日日曜日

修正、不呼国は曽於郡大崎町野方



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
 『Yahoo!天気・災害』 
 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録15:31頁

 《修正、不呼国は曽於郡大崎町野方
 「修正、不呼国は曽於郡大崎町野方

 卑弥呼の女王国を構成していた旁国は、

 鹿児島から宮崎県プラス熊本県の南部にあったことかほぼ把握できた。

 これで卑弥呼の国がどんな国だったか、版図もよくわかった。

 だが検算のため地図を作成してみると、

 どう考えても不呼国が不合理な離れ過ぎ方をしているので再考した結果、

 間違いと正解が見つかった。

 お詫びしてここで修正させて戴く。

 大学講義録12の15頁で、

 「不弥・不呼は卑弥呼時代の豊前・豊後」と性急に決めてしまつたが、

 不弥は邪馬壹国誕生後に、南海から移動して大国化した奴国と同じく、

 張政が伊都国の後に追加した記事の中の1国で、卑弥呼の旁国でないことはもちろん、

 卑弥呼時代にはそこには無かった国なので、不呼もまだ豊後にはなっていない。

 確かに豊後は不呼の後身ではあるが、

 卑弥呼時代には、まだ九州北部にあるはずのない国だった。

 ではどこにあったのか?。

 『倭名類聚鈔』の大隅国・曽於郡は5箇村から成るが、

 その甲に「方後」という村がある。

 これは「ホーゴ」だから、

 不呼 pwo go が、p 音を失って日本語化した、

 発音にぴったりの地名だ。

 『倭名類聚鈔』は10世紀の記録だから、

 3世紀の名がそれまでまだ残っていたこの方後こそ、

 卑弥呼女王国の旁国不呼だと断定していい。

 そこは現在の大崎町野方に当たるが、

 小字(こあざ)が37もある希にみる巨大な大字(おおあざ)で、

 これも古代旁国の名残りだという証言である。

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