2014年1月9日木曜日
難解名詞は「当て字差」が生み出しただけのもの
『Yahoo!天気・災害』
『Matのジオログ』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録31:25頁
孝霊天皇の『三国史記』名・
伯固(ハッコ)とその下の発岐(ハッキ)と、
その別名・抜奇(バッキ)を見比べると、
みな同じ名の変化したものだとわかる。
伯固はハッ木をハツコと読み、
抜奇はバツキと濁ったもので、
羽月(はつき)という地名と同じ名乗りだから、
代々世襲されたものだとわかる。
国牽と国襄は大学講義録17で詳しくご説明した。
于氏と卑弥呼は長くなるので後回しにして
次の発岐は伊佐郡の羽月だから伊佐・五(イ)十狭(サ)芹に合う。
泄謨觚柄渠觚は
「シモカビンチウカ」で「シモキビツヒコ=下吉備津彦」を
帯方郡使が聞き書きしたもの。
次の「稚屋(ちおく)姫」は南九州発音で「チオッ」だから、
「イチヨ」の「チヨ」だけしか聞きとれなかったもの。
次の日子刺肩を彦狭島と比べてみると、ヒコサシまで同じだから、
次の肩の字は「マ」への当て字が間違って「肩」になったもの、
その形で、それは「馬(マ)」だったことがわかる。
それがなぜ位宮か。
狭島はタンネ島=種子島。
位宮は狭穂彦として種子島王になった。
彼はまた壹與を立てて女王にしたから
新「卑弥呼の父」=卑弥弓呼素(ヒミカンカソ)とも呼ばれた。
次の罽須(ケヒズ)は
「吉備津=キビツ=キヒズ」を「気比津」と当て字したものをケヒズと読んで
「笥飯津=ケヒツ・ケヒズ」と当て字を変えたのと同じものである。
応神天皇が「名替え」した
気比(ケヒ)大神=御食津(ミケツ)大神(記)・
笥飯(ケヒ)大神(紀)は、この名乗りなのである。
《難解名詞は「当て字差」が生み出しただけのもの》
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