2014年1月21日火曜日

何の証拠力もない勝山古墳の木板年輪


 『Yahoo!天気・災害
 『Matのジオログ

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録32:4頁

 では、

 199年前後に切られたことが確実な木坂が出土したから、

 勝山古墳はそのころ築造されたと決まったのか?。

 板の年輪が古墳の年代を決定する力(ちから)があるか、考えてみよう。

 ① 年輪は「木が切り倒された年代だけを記録している」にすぎず、
 
   それ以外のことを証明する能力はない。

   勝山古墳の板は古墳で行なわれた祭りに使われた

   あと捨てられたものと推定しているが、

   その時に生きていた木を切り出して使ったという確証はない。

 ② 「使用年代」は立証できない『年輪考古学』

   材木は保存状態によっては1000年以上後でも使用できる。

   たとえば法隆寺の五重の塔は7世紀のものである。

   今、その柱を切って板にして箱を作っても、

   年輪は7世紀だから7世紀に作られたというのが今回の説だ。

   弥生の建築物は丸木造りで木の伐採年はよくわかるが、

   カヤ葺家屋は教百年は保(も)つ、

   年輪には制作年代を証明する力はないから、

   その廃材製品の製造年代は年輪ではわからない。

 ③ 「土器編年」による立証

   だから勝山古墳の年代を決定するものは、

   今のところは

   出土土器の編年しかないが、

   3世紀後半ごろと推定されている「布留(ふる)O式」土器だから、

   年輪説より1世紀も後の築造とされてきた古墳である。

   年輪が証拠だと主張するためには先ずその前に、

   土器編年が間違っていることを立証して、

   承認されていなければならない。

 《何の証拠力もない勝山古墳の木板年輪
 「何の証拠力もない勝山古墳の木板年輪

 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》 

0 件のコメント:

コメントを投稿