2014年1月2日木曜日

「トリテ」を名乗る祟神皇子女とその名の真意


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 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録31:18頁

 では、残るトリテはどうなったのであろうか?。

 これも当然、南九州語化していなければならない。

 薩摩語ならトイテ、大隅語ならトイチになる。

 この大隈語のトイチにはぴったりの候補者が、

 崇神天皇の皇子女の中にいる。

 十市瓊入(ニイリ)姫である。

 この十市はトイチそのものである。

 それだけではない。

 『魏書倭人章』の都市牛利(ニュウリ)も都市(トイチ)である。

 この二つの名を比べてみると、当て字の差で僅かに違うが、

 トイチニイリとトイチニュウリで、

 この差は「入」の字を、

 「イリ」と読むか「ニュウ」と読むかの違いでしかなく、

 もとは同じだとわかる。

 これで「トリテ」の名をもつ人物が、

 祟神天皇の系譜の中に確かにいたことは、

 『魏書倭人章』までもが記録していて疑問の余地はない。

 卑弥呼の名を生んだアンピトリテの神名が、

 祟神天皇の皇子女にも分け与えられていたのである。

 それは何を意味するのであろう?。

 現代も使う「安否(あんぴ)を問(と)う」という言葉がある。

 卑弥呼は本来はオリムポスの神託の巫女・ピュテーアだった。

 その託宣を仏教宣布の方便として使っていたから

 「鬼道で衆を惑(わく)す」と書かれている。
 
 国民が魅惑されるような託宣ができたのは、

 質問者が、

 国家や家族、産業などの未来や旅先での安否(あんぴ)などを

 「問いて(トイテ)」、

 それを卑弥呼らが「解いて(トイテ)」、

 答を「説いて(トイテ)」聞かせたからだとわかる。

 安否をアンピと発音するのも「アンピトイテ」の遺物なのである。

 《「トリテ」を名乗る祟神皇子女とその名の真意


 「「トリテ」を名乗る祟神皇子女とその名の真意

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