2014年1月26日日曜日

矛盾だらけになる原因はヤマトヘの無知


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 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録32:9頁

 銅鐸の問題ひとつを考えただけでも、

 邪馬台国大和説は成立しないが、

 この和辻説だと、こんどは、

 「では、負けて滅んだ神武天皇を、

  初代の天皇として系譜の中に特筆する必要が、

  一体なぜ?あるのか?」という、

 もっと大きな疑問が生まれる。

 もちろん権力者の系譜や業績は、

 修飾されていると考えていいが、

 それにしても苦戦して撃ち破った憎い敵を、

 自分たちの聖なる初代皇祖として崇(あが)め、

 特筆することは絶対にない。

 こうしたことから和辻氏は九州説から大和説に180度転向してしまった。
 『魏書倭人章』の方位は90度狂っている。
 南というのは東のことだなどと主張したのは彼である。

 (『和辻哲郎全集』第三巻「新稿日本古代文化」昭和26年)

 以上でわかるように、

 「邪馬台国は神武天皇の時代からすでに奈良にあった」としても、

 「銅鐸終末期に奈良に入った政権」としても、

 矛盾だらけで何ひとつ解決がつかない。

 その原因は何なのか?。

 それは「ヤマト」という名詞を、誤解しているからなのである。

 それも単純な誤解ではない。

 ヤマトとは奈良の古名だという知識しかなくて、

 それがどんな語源をもち、

 いつから地名になったのかという知識も研究もなしに、

 さらに邪馬臺をヤマトなどと読めると思い込んでいる。
 
 その無知の数々が相乗した結論が正しいはずがない。

 《矛盾だらけになる原因はヤマトヘの無知
 「矛盾だらけになる原因はヤマトヘの無知

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