2014年1月28日火曜日

ヤマトが3世紀の名なら奈良朝の名にはならない


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 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録32:11頁

   京都とは「政権所在地・首都」のことなのに、

   それが東京に移っても、

   いまだに京都とは「政権所在地・首都」のことなのに、

   それが東京に移っても、

   いまだに京都などと呼ばれているのは、

   詳しく書けば「旧(もと)京都」という意味の、

   単なる地名に変質しているからである。

   同じことは東京でもいえる。

   前からいわれている遷都が実行されて「都」ではなくなっても、

   東京という地名がなくなることはない。

   都が府か県に変わるだけである。

   ヤマトは、それが一番新しい大化以後の名だということを、

   その名、自身が立証している。

   仮に3世紀の地名だったら、

   倭・日本に消されていて、

   『魏書倭人章』の旁国や、

   奈良県でいま使われている地名の、

   その前の地名同様、

   消えて終って誰も知らないはずである。

 ② ヤマト信仰の歴史

   八幡は、八幡大菩薩という仏号で呼ばれる。

   これは卑弥呼の倭国を引き継いだ政権として、

   巴利(パーリ)国=隼人(ハイト)町に都していたのだから、

   これも仏教国後継者として当然な称号である。

   いずれにしてもシンドゥ教ではなく、

   厳密にいえば「ギリシャ教と仏教の合体したもの」で、

   その前にまだカリエン人時代のシュメル→バビロン宗教の遺物がある。

   シュメルでは山を崇拝し、

   その信仰がバビロンのジグラット(バベルの塔)建設として歴史に残っている。

   バビロン崩壊後、

   インドへ移った人たちは今もヒマラヤをスメル(シュメル)山と呼んでいるから、

   天皇をなぜスメラギと呼ぶか、

   答ははっきりしている。

 《ヤマトが3世紀の名なら奈良朝の名にはならない
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 《参考:年表・資料》 

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