2014年1月3日金曜日
「トイチ」実在の大きな意義と栃木大移動問題
『Yahoo!天気・災害』
『Matのジオログ』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録31:19頁
この都市(トイチ)牛利が豊城(トユチ)入彦で、
豊鍬(トヅチ)入姫とは兄妹でなく夫妻だった。
豊城も、豊鍬も、沖縄語化して読むと変形の理由がわかり、
共に原音は「トイチ入り」という名乗りである。
とすれば女性の十市瓊入姫と豊鍬入姫も当て字が違うだけで、
同一人だった可能性が高い。
ついでにおさらいをしておけば、
同じ兄弟の八坂入彦は率善中郎将・掖邪拘(ヤザカウ=八坂王)、
妹の淳名城(ぬなんじょう)入姫は同じく率善中郎将・難升米(なんじょうめ)のお后で、
これも『魏書倭人章』に記録のある実在者の名である。
明瞭に「応神天皇以前は神話」などではない。
さらに以上から私たちが得た新情報は、
都市牛利・豊城入彦・豊鍬入姫・十市瓊入姫は、
すべて「トイチ」と発音するのが正しかったということである。
だとすれば、
これまで栃木県の名は豊城入彦・豊鍬入姫を「トチギ入り」と読んだものが
語源であると考えてきたのは正しいが、小修正が必要になる。
栃木という地名をつけた毛野氏らは、
もう原音が「トイチ」だったことを知らなかった。
これは大移動の時期が卑弥呼当時からは、
はるかに後世だった証拠である。
卑弥呼の政変直後から3世紀中に、
豊城入彦らが栃木まで大移動した可能性は、
これで完全になくなった。
それはまた卑弥呼の倭国、
壹與の邪馬壹国が畿内などになかったことを立証している。
畿内なら栃木へ行けるが、
南九州だったから行けなかったのである。
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