2014年1月8日水曜日
孝霊一族全員『魏書倭人章』と『三国史記』に掲載
『Yahoo!天気・災害』
『Matのジオログ』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録31:24頁
これで『魏書倭人章』ではわからなかった
卑弥呼政権の実体や内情、高句麗王家の内幕が見えた。
卑弥呼がその王家の一員で、
父の孝霊天皇が高句麗の支配者だったこと、
伊声耆も位宮もその孝霊系譜中の人物らしいことなどが、
さらに見えてきたからである。
その名乗りを、
各文献にある同一人らしい名乗りと比較して、割り振ってみよう。
『日本書紀』 『古事記』 『三国史記』 『魏書倭人章』
大日本根子彦太瓊(孝霊)大倭根子日子賦斗邇(フトニ) 新大王伯固
大日本根子彦国牽(孝元)大倭根子日子国玖琉(クル) 故国川王国襄 男弟
倭迹迹日百襲姫 夜麻登登母々曽昆売 于氏王后 卑弥呼
彦五十狭芹・吉備津彦 比古伊佐勢理(セリ)毘古 発岐・抜奇 泄謨觚柄渠觚
倭迩迩稚屋(チオッ)姫 倭飛羽矢若屋比売 赫居世(イヨ) 壹與
彦狭(サ)島 日子刺(サシ)肩別(寤(サメ)間)位宮 卑弥弓呼素
稚武彦 若建日子吉備津日子 罽須(位宮) 狗右智卑狗
『魏書』「東夷・高句麗」 伯固(ハッコ)の2子 抜奇―馬交位居(赫居世?)
伊夷模=男武=故国川王国襄―位宮
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