2014年1月11日土曜日
卑弥呼一族の出身地発見!「名乗り」はギリシャ文化
『Yahoo!天気・災害』
『Matのジオログ』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録31:27頁
それだけでなく、
これもまたポセイドンやアムピトリテと全く同じシステムで、
前後二つに分けて名詞化している。
このことも、この断定が正しいことを保証している。
またさらに、
これらの事実は、
卑弥呼の一族が、
そのギリシャのアカルナニア出身だったことを教えている。
なぜならそれがポセイドンやアムピトリテなどの神の名なら、
広くギリシャ中に分布しているから、
出身地を特定できず役に立たないが、
このアカルナニアは国名だから、
『魏書倭人章』の倭女王国の旁国名などが、
後世に本州に運ばれたのと同じことで、
移住民が常に移動先につける故郷の名である。
このアカルナニアはその祖国の名が運ばれたものなのだから、
それを名乗る卑弥呼の一族の出身地だとわかるのである。
「阿加流比売・難波」と=書かれたものは、
卑弥呼の一族が、
出身地と同じ名をつけた国名で呼ばれていた「名乗り」だった。
これは倭の五王たちの名乗りと全く同じ慣習で、幕末まで続いた。
卑弥呼当時の中国の「孝霊帝・宏」とか「文帝・曹丕(ソウヒ)とは全く異なり、
ただ呉の王族だけが
「会稽(カイケイ)王・亮」と地名を名乗っているのに近いが、
これは呉王が大学講義録3でお話ししたように
大隅人と同系だったからで、
我が国の伝統文化「名乗り」は中国からきたものではなく、
ギリシャ伝来のものだったことを、
併せて立証して教えてくれたのである。
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