2013年8月11日日曜日
「はじめ」の語源は間違いなく「土師女」
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録26:23頁
これは
「倭は尾張になってしまった」という点に
「終り」という意味を受け取った言葉なのだから、
その「倭の始めは何だったか?」と考える必要があるのである。
倭もはじめから倭だったのではない。
「始めは○○○だったが、それが倭になった。
そして今度は、その倭が終りになった」
という「常識の裏付け」があったから、
誰にもわかる新語として使うことができた「洒落言葉」なのだ。
すると「はじめ」に相当するものが見えてくる。
それは大学講義録25までに繰返しお話しした
倭人の後身が土師(はじ)氏であり、
その姓のもとは
長谷(はせ)・百済(はせ)だったという事実であり、
その土師こそ「はじ」だから、残る「め」が何か?、
それを探せばいいことになる。
「め」には二つ候補がある。
女王国だったから「女(め)」だったとすれば「土師女」であり、
「命(め)」だとすれば「長谷命=大長谷若建命=雄略天皇」が、
初めて奈良県高市郡にはいって、
倭国政権を奈良に築いた天皇=倭王・武に合うが、
こちらは奈良語では「長谷命=はせめ」だし、
「命」は敬語だから、
雄略天皇を敗れ去った敵倭国政権の、
憎むべき侵略者だと位置づけしている
日本政権が選び、認めた言葉ではありえない。
正解は当時の一般大衆にもよくわかる蔑称の「土師女」が、
「倭国の始祖=始め」だという常識以外にはありえない。
《「はじめ」の語源は間違いなく「土師女」》
「「はじめ」の語源は間違いなく「土師女」」
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