2013年8月28日水曜日
壹與の宗教を伝える『百合若説教』
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録27:9頁
その古型を現代まで残していたのは
壱岐(一大国)の『百合若説教』という「語り物」である。
毎月28日に行なわれる「ヤボサ=八菩薩=八幡大菩薩」の祈りの場で
イチジョーという名の巫女が、
横たえた弓を2本の竹棒で打ち鳴らして拍子をとりながら「語る」もので、
もと説教節と呼ばれていた浪曲の原始的なものだと思えばいい。
イチジョーという巫女の役名も、
そのまま「壹與」時代からの行事であることを証明している。
すると、その説教の内容が貴重な手掛かりになるはずである。
『百合若大臣』は後世の脚色で、
嵯峨天皇のとき左大臣「きんみつ」が
奈良の初瀬(長谷寺)の観音に願をかけて生まれたのが百合若で、
右大臣になったとき蒙古襲来が起こり
出陣して勝って帰るとき裏切り者のため
玄界灘の孤島に置き去りにされたことから話が展開するが、
『百合若説教』のほうは名と筋は共通だが、
宇佐八幡と、
仲哀天皇と神功皇后・応神天皇を祭る
大分の柞原(ゆすはる)八幡の零顕を宣伝する本地物なので、
宇佐八幡もまた壹與時代の名残りだとわかる。
すると、
すでにポセイドンと百済・出雲など、多
数の証拠をもっているギリシャ文化の流入例に、
このユリシーズと百合若大臣もイソップ=イソフが加わるだけではなく、
「伊曽布」地名の住人が、
こうした語り物の巫女たち
「語り部=稗田阿礼(ピューティア)」の一族だったことになる。
《壹與の宗教を伝える『百合若説教』》
「壹與の宗教を伝える『百合若説教』」
『My ブログ』
スメル8千年 古代メソポタミア
歴史徒然
ウワイト(倭人):大学講義録
ウワイト(倭人)大学院講義録
オリエント歴史回廊(遷都)
古代史つれづれ
古代史の画像
ネット歴史塾
古代史ブログ講座
ネット歴史塾
ひねもす徒然なるままに
「終日歴史徒然雑記」
「古代史キーワード検索」
『< 《参考》
古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
最新の考古学的発掘の方法
存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状
《装飾古墳》
「装飾古墳」
《考古学の最新発見》
「考古学の最新発見」
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿