2013年8月19日月曜日
南九州以外にはない多治比・丹比の発生地
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録26:30頁
では「タジイ」は何を意味するのか?。
学講義録18の5頁で反正天皇々居の所在地リストをご覧戴いたが、
その候補地・大阪府南河内郡美原町に『記・紀』の書く
「多治比・丹比」に相当する
「多治井・丹上・丹南」がある。
これは前記の近津安宿(アスカ)の「上・尾張・下」と
同形で倭国の王都とみていいが、
隣接する和泉市にも「田尻町」という大きな町がある。
「田尻」は南九州では「タジイ」と発音する。
理由は南九州語ではラ行音をなるべく発音しないようにして、
語頭では「ダ行」か「ザ行」、
語尾の「リ」は「イ」と発音し、
そのイも昔は「ヒ」と振り仮名した。
田尻はぴったり「タジヒ」に合うのである。
その南九州語かそのまま『記・紀』に残るのは、
天皇が近畿へ移動した時期が遠くなかった証拠だ。
ではそれがなぜイタドリなのか?。
イタドリは田のはずれに生えて一番大きく日立つ草だ。
「田尻草」が「タジイ」の語源だとするのが、
いちばん妥当である。
現在では全国を調査しても「多治比」は見つからないが、
この田尻なら広く目にする地名である。
また反正天皇=倭王・済の略「倭済」と「和泉」とは、
どちらも「イズミ」と読めるから
河内よりも和泉にあるほうが自然だともいえる。
現代まで大きな町であり続けたことと、
多治比が見つからない理由を考えると、
田尻町一帯が古代の多治比だと結論できる。
《南九州以外にはない多治比・丹比の発生地》
「南九州以外にはない多治比・丹比の発生地」
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