2013年8月24日土曜日

移動の規模や勢力を記録する地名


 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録27:5頁

 「田尻」という地名の全国の分布が、

 基本的には倭の五王の移動経路と、

 その後の歴史を記録したものであったことがおわかり戴けたと思うが、

 正確にいうと

 それは反正天皇とその勢力が影響した歴史だけの記録に過ぎず、

 それ以上に詳しい史実は物語らない。

 しかし分布地名の中には、

 さらに詳しくその移動の規模や勢力、

 その後の消長まで物語るものがある。

 それは史学には見過ごせない貴重な宝である。

 次はその実例を挙げてみよう。

 田尻と同じ語源「種子島」をもつ地名である

 「丹波」「丹後」「但馬」は、

 大半が町村名や字名である田尻とは

 比較にならないはど大きい広域地名として現在まで残っている。

 それらは3つとも古代の国であるだけでなく、

 本来は

 兵庫北部と京都北部とにまたがった1つの大国「丹波国」であり、

 それが後に3か国に分けられたほどに大きかったのである。

 『倭名類聚鈔』によると

 第百三が丹波国。

 第百四が丹後国。

 第百五が但馬国になっている。

 この分割が後世のものだということは、

 もちろん文献に記録が残っているが、

 それは周知のことで、

 今の私たちが貴重な紙面をさく問題ではない。

 私たちは地名から史実を「発見」し、

 それらの記録が事実がどうかを

 「判定する側に立っている」ことを、常に忘れてはならない。

 在来のような

 「『○○』に、こう書いてある」と

 羅列する程度の史学ではないのである。

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