2013年8月18日日曜日
蛇神信仰の伝統の中で生まれた名乗り
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録26:29頁
折口信夫(しのぶ)氏は、
タジヒは蝮のことで
ミズハもミズマも水神を表わすから、
水神信仰からきた名だろうという。
この考えからいけば、
オリンピアスの蛇とも無縁ではないことになるし、
先にお話しした水間寺や、
福岡県の三瀦(みずま)地方、
熊本県の水俣、
宮崎県の三間などとも
繋がりのある名で、
水漲岳から三原山までの蛇婿神話は、
反正天皇のほうが倭迹迹日百襲姫=卑弥呼以上に、
より深い関係をもっていることになる。
この蝮を、
今使われているような
「蝮の道三(どうさん)」式の、
極悪人につけた渾名(あだな)だと見ることもできる。
それだと即位前の彼の行為に原因がある。
『履中紀』には彼やく兄の住吉仲皇子を、
彼の近従の隼人に暗殺させておきながら、
その隼人にも洒を飲ませて騙し討ちにして殺してしまう。
という、人として許されない行為が特記されているからである。
それを淡海(おうみ)の三船は明かに非難して、
わざわざ「反正=正義に反した天皇」という
漢風諡号(おくりな)をつけた。
もっとも用心して弁解も考えてあった。
反正とは「タゼイ」で「タジイ」への当て字だと……。
記はその名を水歯別とだけ書き、
紀の瑞歯別と同じミズハワケと読む。
しかしイタドリは蓚産(シュウサン)を含んでいて酸(す)っぱいので
「酸い葉(パ)」と呼ばれる草だから、
本当はスイバ別が正しい。
結局は、
イタドリの様々な別名を「寄せ集めただけ」の名にすぎない。
というのが結論だ。
《蛇神信仰の伝統の中で生まれた名乗り》
「蛇神信仰の伝統の中で生まれた名乗り」
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