2013年8月16日金曜日

「名乗りの分析法」(反正天皇を例題として)


 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録26:27頁

 まず反正天皇の名乗りを見てみよう。

 紀は多治比または多遅比の瑞歯別と書き、

 多遅花とは今の虎杖(いたどり)のことで、

 天皇が「淡路の宮」で誕生した時、産湯をつかった井戸の中に、

 その花があったので名付けたと説明が書いてあるが、

 淡路もタンジ、タジで、

 天皇の名乗りのタジヒは

 地名または国名の名乗りであると考えるほうが合理的である。

 また淡路といえば兵庫県の淡路島だというのが

 在来の歴史家のお決まりの解説だが、

 古代の淡島(アワシマ)は、

 淡島を「オオシマ」と読む奄美大島のことで、

 淡路島とは、そこへ行く「路(みち)」の島、

 古代の多執(タジ)島=オオ路島、

 すなわち「種子島=タネガシマ」以外にはない。

 その淡島の淡が「アワ=阿波=徳島県」に移動してから、

 兵庫県の淡路島が生まれたので、

 〔オオ=淡=阿波・サザキ=讃岐(讃は「讃良皇女=ササラ皇女」のササ)〕

 すなわち

 オオサザキ=大雀=仁徳天皇の阿波の国へ行く「路(みち)」の

 島の淡路島と混乱するから、よく確かめないと、

 種子島と淡路島との500kmもの距離と移動に要した歴史と時間がフッ飛んでしまう。

 これも日本の古代史を野蛮な化け物に仕立て上げた元凶だったのである。

 すでに四国東瑞に移動してきている父・仁徳天皇を考えると、

 今の淡路島のほうに分(ぶ)がありそうに思えるが、

 果たして反正天皇時どこで誕生したのであろうか?…。

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