2012年12月8日土曜日
卑弥呼仏教の実体を記録しているもの
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録18:12頁
《卑弥呼仏教の実体を記録しているもの》
「卑弥呼仏教の実体を記録しているもの」
卑弥呼の死が247年、
それから数えても称徳天皇の宝亀元年(770年)まで523年。
女王国の倭国は卑弥呼の死後も仏教を国教とする政権を守り通して、
ようやく770年以後、男王制の日本国に移行した。
この事実がわからなくては、
日本の建国は語れないし、いくら発掘物が山をなしても、
それだけではゴミの山と変わらない。
これで卑弥呼政権のあとがどうなったかが完全に理解でき、
それが終始変わらぬ仏教徒の女王国家だったことを確認できたから、
次はその初めに立ち戻って、
卑弥呼仏教政権の実体を明確に見極めなければならない。
そのためには何をどう調べればいいのであろうか?。
私たちがもっている公正な記録は、
たった一つの『魏書倭人章』だけしかない。
しかし過去には、
この間題には気づきもせず、
せいぜいが「どこにあったか?」という
幼稚な命題について口角泡を飛ばすばかりでありながら、
それすら解明する役に立たなかった文献、
その『魏書倭人章』に何ができるであろう、
とお思いかもしれない。
しかし、
それは卑弥呼の「鬼道」と呼ばれた宗教が、
なにもので、どこからやってきて、
どんな内容をもった、
どの程度の文化であったかを、疑いを抱く余地さえないほどに、
詳細に記録していたのである。
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