2012年12月19日水曜日
「一・壹・市=イチ」は漢音でなく和訓
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録18:25頁
《「一・壹・市=イチ」は漢音でなく和訓》
「「一・壹・市=イチ」は漢音でなく和訓」
壹與の、壹の発音の時代変化は iet / iet / yiである。
だから私たちが今使う「イチ」という発音は、
中国語だという常識は間違いなのである。
壹與の発音とその意味は iet zio、伊江津・嬢または伊江津・女王。
その壹が国名にも使われて邪馬壹国が生まれたが、
正しい意味は「邪馬・伊江津国」ということである。
では壹はどうしてイチと発音されるのか?。
それはパーリ語の「女性 itthi ]が、
卑弥呼時代に使われていたからにほかならない。
これは沖縄語や種子島語では、そのまま「イッチー」と発音するが、
南九州語ではそれを「イチ」と短縮して発音する。
卑弥呼と壹與2代の皇居だった今の鹿児島神宮は大隈一の宮と呼ばれたが、
この「イチのミヤ」の本当の意味は「 itthi の miyat 」=「死者=霊の女王」と
いうことだったが、
飛鳥(アスカ)や春日(カスガ)や大和(ヤマト)の例にみる通り、
倭人は漢字を中国の発音を無視して自己流の発音に変える。
だから本来は伊江を意味した「イエッ」に対する当て字の「壹」を、
本来は女性・女王の意味だったパーリ語の「イチ」という発音で読んで、
「壹・一」の訓読(よみ)ガナとして使うようになったのである、
そればかりではない。
その都は7万戸の大都市だった。
そこは商品を並べた商家の立ち並ぶ市場でもあったから、
漢音では「 diag ディア」という発音だった
「市」まで「イチ」と読むようになったのである。
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