2012年12月14日金曜日

崇神天皇夫妻は壹與政権に残ったか?



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録18:20頁

 《崇神天皇夫妻は壹與政権に残ったか?
 「崇神天皇夫妻は壹與政権に残ったか?

 弥馬升の mimamsa ミーマンサーはインド古来の祭祀法のことであって、

 それを集大成した「弥曼蹉経(ミーマンサきょう)」もある。

 卑弥呼政権から壹與政権に変わって、

 仕事の内容は仏教からシンドゥ教に変わっても、

 どちらも祭祀は欠かせないからその職名は変わらない。

 このことがわからないと、

 この弥馬升は崇神天皇と皇后の名乗り「御間城」に一致するから、

 伊支馬を首班とする内閣に前政権の天皇か皇后が、

 なお留任していたようにみえる。

 ところがこのパーリ語による真相がわかってみると、

 それは官職名であって個人名でないことは明瞭だから、

 何も崇神天皇やその皇后が、

 邪馬壹国政権に居残ったのではないことが、よく理解できる。

 奴佳鞮はパーリ語の発音は「 no 確実 kedara 農耕=ノケダラ]だが、

 南九州語ではダはデに、ラはレになり、そのレも r 音を失うので、

 ノケッディェというカールグレン式の発音と一致する。

 ところが奴佳鞮という漢字は、唐代には「ヌォ・カイ・ダィ」と発音が変わったから、

 「額田(ヌカダ)という当て字に変わってしまった。

 しかしこの当て字でも「田=農耕・額=額(ぬかず)く」で、

 豊作を祈る女王または女官を意味し、

 無意味に変えたのではないとわかる。

 『日本書紀』に額田姫王が天智・天武両天皇の恋女房として記録され、

 『万葉集』にも彼女の歌が残っているが、

 それらは7世紀でも同じ国名が生きていたことの証人である。

 『弥曼蹉経
 「弥曼蹉経

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