2012年12月31日月曜日
前漢当時は朝鮮半島の国々も倭だった
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録19:5頁
《前漢当時は朝鮮半島の国々も倭だった》
「前漢当時は朝鮮半島の国々も倭だった」
蓋国とは、
朝鮮半島最北部に蓋馬(ケイマ)高台という高原地帯があり、
そこに蓋馬市があるのでこの辺り以外にはは考えられない。
鉅燕(きょエン)とは
戦国時代中国の大国・燕のことで、
秦の始皇帝にB.C.E.222年に統一されて独立を失った地域。
鴨緑江以北の遼東から東北区にまたがっていた。
その鉅燕(きょエン)の南に蓋国があるというのだから、
この2つの国の位置関係は正確で、
やはり蓋国が朝鮮半島にある国だったことは間違いない。
ところが次の文章では、
その蓋国は「倭の北に在る」という。
卑弥呼時代の朝鮮半島をみると蓋馬高台や蓋馬市のあたりは高句麗であり、
それ以南には濊(ワイ)と韓がある。
それなのにこの『山海経』は
濊(ワイ)・韓を知らず、そこは倭だと書くが、それだけではない。
すぐ続けて「倭は燕に属す」と書いている。
前漢時代には燕の勢力下にあったというのだ。
これは朝鮮王の準が漢の初めに燕人の衛満に騙されて国を奪われた
『史記』の話を考えると、
確かに半島は燕人の支配下に入っていたといえる。
こうみてくると前漢末の中国人は、
後(のち)の濊(ワイ)と韓(馬韓・辰韓・弁韓)を
全て倭だと認識していたのである。
また事実、
私たちには、当時の朝鮮半島は北の高句麗から南端の狗邪韓まで
琉球・南九州人の国だったことがわかっている。
濊(ワイ)の発音「ワイ」もウワイの訛りとみて間違いではない。
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