2012年12月15日土曜日
お宮(神社)の語源は「死」
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録18:21頁
《お宮(神社)の語源は「死」》
「お宮(神社)の語源は「死」」
「卑弥弓呼素」
これは2代目卑弥呼の父という意味にとると、
壹與13才の義父・位宮を指す呼び名にうまく適合している。
しかしそれはそう読むように、
呼素を父の意味に使うように日本語に加えた後世の解釈との一致であって、
3世紀当時には、
本来の語源はこのパーリ語のほうだったことは、
このパーリ語との比較リストによる発見で明かである。
その前半は卑弥呼と同じである。
この二人と難升米に「 miyat ミヤッ=死」が入っている。
卑弥呼の宗教を帯方郡使は「鬼道」と表現したが、
それは当時までの中国宗教の主流が道教だったからで、
道教は不老長生を理想とする
「人間の生き方=生道」を摸索し教えるものだった。
これに対して卑弥呼の仏教はそれと正反対の
「来世を良くする道、死者をとむらう道=死者=鬼、死道=鬼道」だと、
道教と対照して理解し、表現したものでなのある。
その意味では位宮らのシンドゥ教もまた、
死者を「神霊」として祭る宗教の一種であって、
張政ら中国人からみれば、やはり「鬼道」だったのである。
私たちが祭っている「お宮さん=神社」は、
例を挙げると靖国神社は戦死者、
天神社は菅原道実が祭神で、
どちらも死者の霊を祭っていることは誰でも知っている通りで、
いいかえれば死者の宮殿であって、
その「ミヤ」という訓みは、
パーリ語の「miyat ミヤッ=死」そのものにほかならない。
『鬼道:原始仏教』
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