2012年12月7日金曜日
奈良は3世紀の間つづいた仏教の国都
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録18:11頁
《奈良は3世紀の間つづいた仏教の国都》
「奈良は3世紀の間つづいた仏教の国都」
このとき初めて倭国は奈良県に入った。
そして次第に勢力圏を広げて、670年の大化直前には、
山の中の長谷よりずっと環境のよい
高市郡の中心地・明日香村に本拠が移っていた。
なぜなら「アスカ」という地名は
「アショカ」王の大隅訛り「アスカ」に完全に一致する。
これは仏教女王国・倭の武王が占拠する前には、
存在するはずのない名だからでである。
そして大化までの倭国の記録時全て女王制の仏教国だったし、
皇極・斉明女帝らが去った後も、
明日香は蘇我氏と仏教の本拠として残り、
天智・天武時代の17年が過ぎると
聖武天皇の大仏建立を頂点に、
奈良は仏教全盛の国都に戻り、
またその間、
持統女帝以後、称徳天皇に至るまで実質的に女王制が続いて、
中断したのはその僅か17年間だけにすぎない。
478年前後に「幡梭(ハシ)姫+雄略朝」が高市に入って以後、
称徳朝が倒れた770年までの3世紀の間、
アショカ王の霊は明日香に君臨し続けて、
空白があったのはその17年だけなのだから、
この一帯にある478年前後から670年までの遺跡や、
出土品は、
すべて仏教遺物で、他の宗教の遺物はない。
それは箸墓や周辺の古墳についても全く同じである。
これはど明確なものを、
年代、宗教、目的、用途などについて、
思いつきの出鱈目解釈を並べる連中がいるが、
それは無知の自白に異ならない。
あなたも私も「以て他山の石」としなければならない。
『聖武天皇の大仏建立』
「聖武天皇の大仏建立」
『西暦478年前後』
「西暦478年前後」
『西暦670年』
「西暦670年」
『西暦770年』
「西暦770年」
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