2012年12月12日水曜日
パーリ語で初めてわかる倭人国名の真意
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録18:18頁
《パーリ語で初めてわかる倭人国名の真意》
「パーリ語で初めてわかる倭人国名の真意」
伊都国は帯方郡使が「常駐する所」とわざわざ記録しているが、
その伊都国長官の官名は爾支で、
そのパーリ語の意味は「常駐」。
これでみると伊都国は、
外来者をそこに止めて置くために倭人政府が設けた地点で、
爾支は「常駐地長官」を意味していたのである。
在来の「帯方郡使は自分の意思で伊都国にとどまった」とする解釈は
間違っていたことがわかる。
泄謨觚柄渠觚は「焼く・薬草」の双方が
どちらも「ヤク」島の語源を物語り、
天孫の妻・木の花開耶姫が産室を焼き、
生まれた子供が火のつく名をもつ理由までわかる。
また暖海の中に九州一の高山が聳える屋久島は、
確かに薬草の宝庫でもあった。
その発音は jhama ジャマで、旁国名の「邪馬国」とぴったり一致し、
邪馬壹国の構成実体や、
スサノオの尊が厄病神扱いされる理由などもわかる。
屋久島の歴史はこれらのパーリ語抜きでは考えられないし、
泄謨觚柄渠觚という名乗りが屋久島王のものだったことも疑えない。
その名乗りを名乗る人物が伊都国の副官になったのは、
もちろん邪馬壹国政権が生まれた後である。
弥弥と弥弥那利の語源
「 Bimbisara ビンビサーラ」は、
繹迦時代の前期マガダ国、
サイシュナーガ王朝の王の名であり、
アレクサンドロス東征によって生まれた
後期マガダ国マウリヤ王朝の始祖・チャンドラグプタの子で、
アソカ王の父(B.C.E.297~273年)の名でもある。
『マガダ国』
「マガダ国」
『サイシュナーガ王朝』
「サイシュナーガ王朝」
『アレクサンドロス東征』
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『マウリヤ王朝』
「マウリヤ王朝」
『チャンドラグプタ』
「チャンドラグプタ」
『アソカ王』
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