2012年12月17日月曜日

15世紀まで生きていた国名「都市牛利」



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録18:23頁

 《15世紀まで生きていた国名「都市牛利」
 「15世紀まで生きていた国名「都市牛利」

 「都市牛利」

 南九州語はラ行の r 音をダ行の d 音で発音するから、

 「torana 城門 guli 鎖・集団」はトダングリに近い発音になる。

 「to diag ngiu liad 」と帯方郡使が写した当て字は、

 印欧語を写すには堅すぎて不自由な漢字で、

 よくこれまで写せたものだと感心する程に、

 パーリ語の原音をよく記録している。

 この名乗りはまず旁国の

 「都支国」=今の川内市の「高城(たき)」の王を意味し、

 卑弥呼政権の東遷後は「都之城」の語源になったのだから、

 「城門に鎖する」王または「城門集団」王という名乗りは至極当然で、

 これがパーリ語の原名だった、ことは不自然ではない。

 さらにその名の「城」が、

 高城・都城という漢字名を残したことも強い証拠になる。

 『倭人章』は当時の卑弥呼の都が「城柵嚴設」していたと書く。

 彼はその城門を「兵器を持って守衛」していた軍隊の司令官だった。

 だから魏の政府も彼を「率善校尉」に任命したのである。

 話は少し後世になり過ぎるが、

 この名乗りには間違いなく子孫だと確信できる国名が琉球に残っていた。

 それは、

 尚巴志(ショウハシ)王統(1422~1469年)を

 倒して第二の尚王統を建てた尚圓は、

 伊平屋島の農民だったが、

 首里で出世して「御物城御鎖側=オモノグスク・オザシノソバ」

 (海外貿易大臣)という高官にまで出世した。

 「城+鎖〕の国名はまだ生きていたのだ。

 『尚巴志王統
 「尚巴志王統

 『尚圓
 「尚圓

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