2012年12月5日水曜日
「大阪」が証明する仏教国と敗戦
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録18:9頁
《「大阪」が証明する仏教国と敗戦》
「「大阪」が証明する仏教国と敗戦」
しかし、それがはっきりわかってみると、
皇后・草香の幡梭姫と雄略天皇の関係は、
その独特の女王と天皇の関係にぴったり一致しているから、
草香の幡梭姫皇后が倭迹迹日百襲姫や卑弥呼の後継者だったことは、
疑いを挟む余地がない。
泊瀬の朝倉の宮、
すなわち長谷寺にいた倭(ウワイ)女王は皇后・草香の幡梭姫以外には
ありえないことがわかる。
すると、
例の「箸墓伝説」は、
卑弥呼=倭迹迹日百襲姫のものではありえないにしても、
別の老女王の百済姫=ハシ姫の事件だった可能性はさらに高まり、
箸墓古墳の主は老齢の皇后・草香の幡梭姫だと断定できる証拠が、
さらにまた加わったことになる。
以上の考証から、より面白い結論が、まだ幾つも引き出せる。
① 少なくとも雄略天皇当時には、
倭国の女王と天皇とはそれぞれ別の宮殿に住まい、
別の陵に葬られたという事実。
② もう1つは「大阪」という地名の正確で決定的な語源と
③ その時期とだ。
それは「大=倭・阪=塞」で、
これは「倭塞=ウワサカ=優婆塞=男性仏教徒」が
「倭塞=オーサカ」と発音されるようになった後、
④ シラバッガの継承者=シンドゥ国の日本政権(実行者)が、
⑤ (理由)優婆塞という仏教名を忌み嫌って消去するために
⑥ (口実)「大きな坂があるからだ」という「故事つけ」を作ってつけたのである。
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