2012年9月1日土曜日
桜井は7世紀の藤原氏勢力圏
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録15:8頁
《桜井は7世紀の藤原氏勢力圏》
「桜井は7世紀の藤原氏勢力圏」
以上でわかるように『箸墓』の所在地名「箸中」も、
これらの国名と同じ性質のもので、
それは南種子の「長谷・中」を、そのまま桜井の一部に付けたものだったと、
改めて再確認して戴けたはずである。
これでもまだ
「箸墓古墳は卑弥呼の墓である可能性がある」
と思う人があるかもしれないが、
それならこれらの「国名の字名」は
卑弥呼の女王国を形成していた旁国や連邦の国名と
一致していなければならない。
しかしそこには、卑弥呼の敵であった邪馬壹国が生まれたあと、
始めてつけられた国名の「薩摩=壹国(サツマ)」や、
壹與の即位地の「吉隠(ヨナバリ)=与那原」があるのに、
旁国に合うのは「針」が一つあるだけで、
連邦国名に合うのも豊前だけである。
残りは武蔵と伊豆(伊都の子孫)でわかるように、
どれもがずっと後世の国名ばかりで、
卑弥呼に関係したものはない。
では桜井の種子島地名は何を物語るのか。
ここには藤原鎌足を祭神とする
談(タン)山神社がある。
この「タン山」は「種子・山」で、但馬も「種子国(タジマ)」である。
中臣が中祇(ツミ)だということも大学講義録14でお話しした。
この地域から西に視野をさえぎる高い山並みは葛城連峰だが、
この葛の字は「フジ」とも読む。
葛城は「フジのキ」で、藤ノ木古墳と同名なのである。
この地域は明らかに藤原氏の勢力圏ではあるが、
それは「7世紀」の倭国滅亡当時のものなのだ。
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