2012年9月21日金曜日
日本史学中 最大の史料地名
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録15:28頁
《日本史学中 最大の史料地名》
「日本史学中 最大の史料地名」
旁国の邪馬国と巴利国とが、その後どうなったかを尋ねると、
これまで卑弥呼の墓とされ、邪馬台国が奈良に実在した証拠だ、
とされてきた箸墓古墳とその周辺の遺跡と地名が、
実は何だったか、はっきりその正体を現わした。
それは天智が発案し、天武が命令し、
その後継者の女帝たちが完成させた
対唐媒略用宣伝文書『日本書紀』補強用の道具立てだったのだ。
だからそれらは全て卑弥呼らとは無関係な、後世に工作された「人工的な」地名で、
本来の倭国史とは縁遠い空疎な作品にすぎない。
だが、その対唐工作の実態が見えると、
それらは『日本書紀』の実像を浮き彫りにしてみせてくれると同時に、
7~8世紀の日本人が現代人にも勝る
知性と教養の持ち主だったことも明確に立証した。
それは予想外の成果で日本史の基礎的な大問題を解決する史学中でも、
最大の史料地名になったのである。
このことがあったので、
一見、旁国とは無関係に見え、脱線に見えたかと思うが、
あえて強引に箸墓を中心にしてお話しを進めた。
このように学問には舞数のチャンズがある。
もちろん歴史はあらゆるものに関連をもっているから、
幾らでも補強材料に使えはするが、
その中から最適のもの一を選ばないと逸脱して主題を見失なう。
これらの例は、主題の本質を見失なわずに活用できる好例として、
特に力をいれてご覧いただいたのである。
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