『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録15:11頁
《百済倭国政権が逃げ込んだ痕跡》
「百済倭国政権が逃げ込んだ痕跡」
では葛城山の「櫛羅」の滝のほうは、いっ生まれた名か?。
それをわざわざ「クジラ」と発音しているから、
部族の名をつけたのではないことがわかる。
彼らはクダラという有名な国名と部族名を避けて、
僅かしか違わないクジラにしている。
このことでこの名は、
クダラが不名誉な国名に下落した後に命名したものだ、と証言している。
「クダラ」は馬韓のマレー語読みだから、
半島の植民地百済だけを指す固有名詞である。
それが白(シラ)村の江=新羅(シラ)潟→新羅方=現在の枚(ヒラ)方での大戦で、
母国である百済倭国=フジワラ=豊日倭国=大阪府豊島郡に
所在した大国の倭国政権が滅びた
663年に、その植民地百済も消滅し、本国に居たり引き揚げたりした、
その支配者らも敗残者として差別民に落とされたのは動かぬ事実だから、
奈良県の「百済倭国=フジワラ」遺跡は、
どちらにしても663年の敗戦によって、
首済倭国政権の残党が大阪をあとに逃げ込んだ痕跡であり、
櫛羅の名はその事件が何で、時間帯がいつで、
当時の難民のクダラに対する感情がどんなものだったかまで記録している。
ちょっと得難い強力な「生き証人」だったのだ。
在来型の史学では思いつきもしなかったような、
一見極く小さく見える弥馬升や滝の名ていどの言語文化財が、
実はこのように犯罪捜査のDNAにも似た、
実に強力な動かせない証拠力をもっているのである。
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