2012年9月28日金曜日

卑弥呼と百襲姫の一致が次に生むもの



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録16:3頁

 《卑弥呼と百襲姫の一致が次に生むもの
 「卑弥呼と百襲姫の一致が次に生むもの

 卑弥呼の旁国の領域と、

 倭迹迹日百襲姫の名乗りの領域とが、

 完全に一致することが大学講義録15で確認できた。

 「卑弥呼=倭迹迹日百襲姫」説は正しかったことが、

 これだけでも充分立証されたが、

 旁国の所在が17世紀後の現代でも確認できた事実は、

 『魏書倭人章』の記録が優秀で、帯方郡使が見聞した真実を、

 正確に記録したものだったという信頼度をさらに高めた。

 それはまた同時に、

 この来訪郡使の貴重な遺産をさらに有効に活用すれば、

 私たちの史実の記録と知識の量を増し、質を高め、

 さらに充実させることができる。

 と確信させる。

 たとえば『魏書倭人章』に彼女と同時に登場する人々は、

 『記・紀』の中の誰々で、

 それはどんな役割を果たした人物だったか、といったこととか、

 彼女の宮室に出入りして言葉を伝えた唯一の男子とは、

 一体?『記・紀』の中の誰に当たるのか。

 また仇敵になった狗奴国男王の位宮は

 卑弥呼とは無縁の他人だったのか、

 それとも血縁者なのか?、

 等々といったことがどうしても知りたい。

 そうしたことがわかれば、

 外国人の魏人が始めて見た倭人の別世界を、

 客観的に観察して記録した赤裸々な史実と、

 これまで疑惑と盲信が激突したまま置き去りにされていた

 『記・紀』の記事とが比較できて、

 暗闇の中に放置されていた謎と疑惑が消滅し、

 両者の一致点が『記・紀』の記事を「史実」にまで高めることになるからである。

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