2012年9月17日月曜日
もう一人の大国主=大穴持は卑弥呼
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録15:24頁
《もう一人の大国主=大穴持は卑弥呼》
「もう一人の大国主=大穴持は卑弥呼」
これに対して卑弥呼のほうは、
それより400年も前の事件で、
事代主(コトシロヌシ)はいたが恵比寿はいない。
事代主というのは
「言代主(コトシロヌシ)」と言換えてもいい人物のことで、
平素は宮室に籠(こも)って姿をみせない卑弥呼に代わって、
言葉を伝え仕事を代行する人物のことで、
『魏書倭人章』には
「唯 有 男子一人 給 飲食 伝辞 出入 居処=
ただ一人の男性だけが、卑弥呼の居室に出入りして、
食事を運び、言葉を取り次ぐ」と記録している、
その男性が正に事代主の名にぴったりの人物なのである。
この大国主としての卑弥呼を祭る神社も、
古代の隼人=巴利国の遺跡である国分市に現存している。
大穴持神社がそれである。
大穴は大国をオオナと発音したものへの当て字、
「持」はモチの沖縄~大隅発音で「ムチ」、
これは天照大神を
「大日霊の貴=オオヒルメのムチ」などと書く専称「貴=ムチ」を、
わざと無意味な「持」の字に変えた当て字である。
このことからも卑弥呼が敗北者だったことと。
この神社を建てた彼女の敵=征服者らが、
彼女を余り専敬していなかったこと。
彼女が宮室に籠(こも)って姿を見せなかったことと、
彼女の死を「天の岩戸隠れ」として伝えたこととを重ね合わせて、
それを「大穴の所有者」と表現することのできた
高度の知性と文化の持ち主だったこと、
などが明瞭に浮かび上って来る。
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