2012年9月18日火曜日
異口同音に記録されている倭国東遷
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録15:25頁
《異口同音に記録されている倭国東遷》
「異口同音に記録されている倭国東遷」
この国分市の大穴持神社と、
桜井市の大神神社の命名法の差は、
明らかに卑弥呼に対する軽視と尊信との差を明瞭に教えてくれる。
国分では卑弥呼を落伍者とみているのに対して、
桜井では、
この世で最高の存在である「大神」として祭っているからである。
このことは国分は敵に乗っ取られた首都であり、
桜井は国分での敗北者が移動して
新たに都を置いた遷都先であったことを記録している。
それは7世紀の国名が、
鹿児島県のほうは「日本」という卑弥呼の敵の国名に変わっていたのに対し、
近畿のほうは3世紀の卑弥呼当時のまま、
全く同じ「倭国」だったことでも立証できる。
間違いなく卑弥呼系の政権は南九州を捨てて東へ東へと移動拡大して行った。
それは『宋書』『隋書』『唐書』の倭国史でも明瞭だ。
仮に倭国が3世紀当時のまま不動だったのなら、
中国正史は全部ウソつきになる。
過去の史学者は、こうした文献批判と採択法を知らず、
考え出す能力もなかったために、
『魏書倭人章』にある倭国と同じ名の国が7世紀にあった場所が、
卑弥呼のいた土地だ。
としか理解できず、邪馬台国大和説や畿内説を宣伝して日本の史学を泥まみれにし、
その唯物史観学者の思いっき説を盲信した文部公務員が、
祖先たちの尊い建国史を義務教育から抹殺したまま
21世紀を迎えるという世界の笑いものに、
私たち日本人を落としてしまったのだ。
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