2012年9月12日水曜日
卑弥呼の墓=「迹」の国に実在
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録15:19頁
《卑弥呼の墓=「迹」の国に実在》
「卑弥呼の墓=「迹」の国に実在」
<卑弥呼の語源>が出たので、
ここで<卑弥呼>とその敵、
<狗奴国男王>・<卑弥弓呼素>の名乗りの謎も解いておこう。
<卑弥呼の本来の語源>が<ペマカ>だったことが、
この60%共通文字をもつ二つの名乗りの比較で、
簡単かつ完全に証明できるからである。
<卑弥弓呼素>の「弓」の漢魏音は「kiung<キウン>」または「kuang<カン>」だから、
前者だと<卑弥弓呼素>というのは「姫木王の父」。
後者だと「ペマカの父」になる。
この人物は、もうよくご存知の<位宮>だから、
この<姫木王>も<ペマカ>も<壹與>を指しているが、
この<ペマカ>=愛の名をもった山陵が、
いま見たばかりの「迹」の国・川内市にある。
その名は「可愛山陵」で発音は「埃の山陵=エの山陵」。
「エ」というのは「アイ」の鹿児島発音なので、
これは「愛の山陵」ということで、
「可愛」は<ペマカ>の直訳を正確に漢字に写したものである。
この<愛の名>は地名とは無関係だから被葬者を指している。
とすればそこに葬られているのは<ペマカ>で、
『魏書』の当て字は<卑弥呼>、間違いなくこれが「卑弥呼の墓」なのである。
しかし<卑弥弓呼素の名>が教えるとおり、
<壹與>もまた<卑弥呼>と呼ばれていたことは間違いない事実である。
だがいま一度念のため、<卑弥呼>は一人だけだったと仮定すると、
狗奴国男王は大変な老婆だった卑弥呼の、そのまた老父ということになる。
よく計算しておこう。
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