2012年9月15日土曜日
卑弥呼以後も移動発展を続けた倭国
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録15:22頁
《卑弥呼以後も移動発展を続けた倭国》
「卑弥呼以後も移動発展を続けた倭国」
こうして調べれば調べるほど、卑弥呼の鬼道とは仏教であって、
それも我が国での名詞が中国で僧の称号や普陀落の山号として使われるほどの
仏教先進国だったことがわかる。
また倭国は卑弥呼の死後も滅亡せずに移動し続けて、
少なくとも7世紀後半までは唐政府が
「大国=倭国」と認める名実ともに備わった立派な
オオクニだったのであり、
その支配圏も近畿の中央部大阪府域まで拡大しつつあったことが、
よくおわかり戴けたと思う。
だが鹿児島に本国を置き、
九州から朝鮮半島に支配地や植民地を拡大していた小国・日本は、
7世紀の後半になって
唐の後押(あとお)しを利用して半島諸国を征服し、
大国・倭国を攻撃してその支配権も手に収めた。
天智天皇の男王政権である。
しかし倭国と組んだ天武天皇は、
その天智天皇系の大津政府を倒して政権を奪ったが、
唐の侵略に備えてあらゆる手をうった。
これで『箸墓伝説』は何であったか、
それがなぜ奈良県下の歴史遺産として、
わざわざ特記されているのか、
それを載せた『日本書紀』とは何を目的に作られた、
どんな書物であったかが、よくおわかり戴けたと思う。
以上の結論が正しいことは、
『日本書紀』編纂直後に提出された
傘下各国の『風土記』をみて戴けば、
箸墓伝説と同種のコジツケ説話が充満しているので、
さらによくご納得がいくと思う。
比較して独自にご検討戴ければ幸いである。
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