2012年9月9日日曜日
鹿児島県の重要地域を押さえた名乗り
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録15:16頁
《鹿児島県の重要地域を押さえた名乗り》
「鹿児島県の重要地域を押さえた名乗り」
それは飛鳥をアスカと読み、春日をカスガと読み、
倭、日本、大和をヤマトと読むことで
完全に証明されているから、
3世紀に呼ばれたウワイの名は、文字がどんなに変えられても、
やはりウワイと発音され続けるはずなのに、
そうでなくて「倭」をヤマトと読むのは、
奈良がヤマト人に占領されてから後に生まれた習慣であって、
奈良が3世紀の「倭=ウワイ」を全く知らないという動かない証拠なのだということを、
よく憶えておいて戴きたい。
これだけでも百襲姫の名乗りの筆頭に挙げられている倭国は、
3世紀には奈良県にはなく、奈良以外にあった国だという結論になる。
「迹」の字は2個書かれている。
この発音は「卜」だから、「倭人章」の投馬国に合う。
現在も同じ発音をもつ十(ト)島が鹿児島県鹿児島郡に属していて、
地理的にも伊都国から「南、水行二十日」に合う位置と距離にあり、
3世紀の「迹国(トーマ)」の条件を、よく満たしている。
もう一つの「迹」は旁国の都支国に合う。
そこは現在の鹿児島県西部最大の都市、川内市だから、
古代にも重要な国で、卑弥呼直轄の領国だったとみて違和感はない。
「日」はいうまでもなく巴利国で、マレー語による当て字である。
ここは小地域ではあるが首都機能を備えた政治経済の中枢で、
当然、最高支配者の所領地だったのである。
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