2012年9月8日土曜日

百襲姫の名乗りは鹿児島県の地名



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP
 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録15:15頁

 《百襲姫の名乗りは鹿児島県の地名
 「百襲姫の名乗りは鹿児島県の地名

 これまで検討してきたのは、

 箸墓古墳とその周辺が、3世紀の卑弥呼とは無関係で、

 そこにみられるのは後世の百済倭国の遺物ばかりであるという事実だった。

 それを『日本書紀』が、

 卑弥呼の正式な名乗りである倭迹迹日百襲姫の墓であると書いているのは、

 『日本書紀』は天武天皇らが唐政府向け宣伝用に作ったもので、

 自分たちの政権は内戦によって生まれたばかりの不安定な革命政権ではなく、

 古代から綿々と継続してきた中央政権だ、

 と錯覚させる目的で作られているためで、

 3世紀の史実も利用しては居るが、

 それらは小国日本時代の、沖縄から鹿児島県での歴史であって、

 奈良県での歴史ではなかったことも明白になった。

 だがさらに念のため次は、

 百襲姫の名乗りを構成している古代国名が本当に奈良県のものではないのか、

 なければどこのものか?検討してみよう。

 「倭」の字の3世紀の発音はウワイで鹿児島県国分市の上井だけに残る。

 『隋書』にある倭国は愛媛県の宇和島が首都だから、

 もう「ウワ之国(シマ)」と語尾の「イ」が省略されている。

 奈良県ではさらに変化して「ヤマト」と読んでいるから、

 これは「ワ」と発音した唐代よりもさらに後世の発音変化であって、

 3世紀のウワイという発音の片影すらない。

 ところが名詞は発音が主体で文字は従で、

 文字が変わっても発音は変わらないのが原則である。

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