2012年9月25日火曜日
百襲姫の名乗りの真相
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録15:33頁
《百襲姫の名乗りの真相》
「百襲姫の名乗りの真相」
では倭迹迹日百襲姫の名乗りが、どういう構造になっているか?
改めて確かめてみよう。
「倭」
これは都の跡に残った地名・上井のことではない。
卑弥呼が君臨した女王国全体の大義名分である
「優婆夷国女性仏教信徒の国」を世界に標榜するトップ・ネームなのだ。
「迹」
この発音は漢魏音だとセキだが、
『日本書紀』が使う当て字だから8世紀も和訓で
「跡=アト」を意味する語「ト・トー・ツ」である。
これは支配圏の南限を投馬国とみて、その頭音「トー」とみると、
名乗り全体が表現する地域配列からみて合理的になる。
するとこれは十島村だけでなく大島郡全域を指し、
十島はその当時の国名の名残りを止どめているのだということになる。
投馬国も張政の追加国名だが卑弥呼領だった可能性は充分ある。
「迹」
鹿児島県の西南瑞、大島から北上すると次のブロックは薩摩半島南部だから、
これはその首都である現在の川内市で、
その古名である都支(トチ)国=現在の高城(タキ)が最適である。
「日」
これは「後の小国日本=今の鹿児島県」の中央部、
首都のある巴利国のマレー語式訳語である「日」であって、
日向・日本の語源になった地域、姶良郡と薩摩郡一帯。
「百」
前ページで説明した通りで、種子島から肝属郡にかけての大隈半島南部。
「襲」
文字通り「襲の国」で、古代蘇奴国。
曽於郡から姶良郡東南部+宮崎県南部。
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