2012年8月31日金曜日
奈良県にみられる字名(あざな)の異常さ
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録15:7頁
《奈良県にみられる字名(あざな)の異常さ》
「奈良県にみられる字名(あざな)の異常さ」
この結論が正確であることを立証するものは他にも沢山あるが、
もう一例だけお話ししておいたほうがいいと思うのは、
特に奈良県にみられる字名の異常さである。
地図をご覧になると一目瞭然だが、
字というのは微小地域でしかないのに、
それに付けられた名は、
なんと古代の「大国名」が多いという事実である。
いま問題にしている『箸墓』付近の地名を見ただけでも、
出雲・豊前・吉備・備後があり、
初瀬(ハセ)(百済)・狛(コマ)(高句麗)・白木(新羅)が
揃っている。
そればかりでなく壹與が沖縄で即位した都の名「与那原」まで、
吉隠(ヨナバリ)という当て字で現存している。
以上は桜井市であるが、
隣接する地域にも百済(広陵町)があるし、
天理市に備前・兵庫・武蔵があり、
橿原市に飛騨、高取町に薩摩、三宅町に但馬、都祁(つげ)村に針(播磨・巴利国)、
大和郡山市に伊豆、明日香村に桧前(ヒノクマ=肥前)などがあり、
奈良市の佐保も種子島の古名「狭穂」が語源である。
こんな地名が何の役に立っというのか…?。
それは最後のサホをみれば一番よくわかる。
この地名があるお陰で、
本当は種子島で起こった歴史的大事件の「狭穂姫物語」が、
奈良で起こった史実のように見えるために、
過去の史学者は全員が騙されてきたのである。
しかし、
この事件は豊玉姫と山幸の悲劇で、
この二人が奈良に住んだと信じる者など絶対にない。
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