2012年8月24日金曜日
箸墓古墳は長谷=百済王の墓
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録14:23頁
《箸墓古墳は長谷=百済王の墓》
「箸墓古墳は長谷=百済王の墓」
『記・紀』の建国部分の謎は、
これで疑問の余地なく多数、氷解した。
これは文献史学の大収穫だが、
同時に考古学と神話学の在来の誤りも是正してくれた。
それは卑弥呼の墓とされてきた
箸墓古墳(奈良県桜井市箸中)の真相が、
適確に明らかになったからである。
E 音を嫌う沖縄語では
百済(ホゼ)をフジと発音するのと同じく長谷はハシに変わる。
箸墓のハシは付近にある長谷や初瀬と同じく、
長谷=後の百済を意味する名乗り以外にはない。
所在地が箸中で、南種子の「長谷」と「中」が揃っている。
箸は当て字の一つにすぎない。
古墳は貴族を葬(ほう)むってある。
それをハシと呼び続けてきたのは、
少し後世の同じ奈良県下の古墳を
「百済王(フジノキ)」を意味する「藤ノ木」と
呼んできた原則通りで、被葬者名なのである。
ただでさえ死者を恐れた昔の人々が、
一層恐るべき支配者らの墓を、
現代人の様に傲慢にも渾名で呼ぶことなど絶対にない。
これは学究として忘れてはならない鉄則である。
だから仮に卑弥呼説が正しいのなら「ウワイ墓」。
邪馬臺国王の墓なら「ジャマダグ墓」と呼ばれているはずで、
ハシ墓は間違いなく卑弥呼とは仇敵の百済側の王族の墓である。
この百済王族の名のついた2古墳の実在とその時間帯からみて、
国家としての百済の前身は既に奈良にあり、
5世紀以降の朝鮮半島の百済が、
その植民地だったことは動かない。
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