2012年8月4日土曜日

『海幸山幸』の「鈎(ハリ)」は隼人の「隼」



『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録14:9頁


 《『海幸山幸』の「鈎(ハリ)」は隼人の「隼」
 「『海幸山幸』の「鈎(ハリ)」は隼人の「隼」


卑弥呼女王国の都は隼人にあり、

壹與はそれをそのまま継いだかたちになっている。

どこにも都を移したという記事はない。

だが変わったものがある。

邪馬壹という国名である。

それは壹與が新女王国王になると同時に

北部九州に生まれた大国・奴国などと共に、

内乱終息後始めて追加報告として登場した新国名の一つだということを

見落としてはいけない。

その主体は卑弥呼時代には離島に過ぎなかった

旁国中の一小国・邪馬国と

「不属女王」の狗奴国とで、

時代の潮流が倭国連邦の盟主に押し上げたために、

始めて生まれた国名である。

しかしそれは単なる首都圏名にすぎず、

帯方郡まで張政を送っていった

掖邪狗の肩書きは「倭大夫」と明記してある。

連邦名は邪馬壹でなく依然「倭」のままだった動かぬ証拠だ。

では隼人は卑弥呼当時は、なんと呼ばれていたのだろう。

それは隼人という地名と『海幸山幸』の物語が教えてくれる。

『海幸山幸』事件の展開を考えてみると、

そもそもの発端は山幸が海幸に「鈎(ハリ)」を借りて、

海にでかけてその鈎を失ない、

それを赤女のノドで見つけて取り戻して、

海幸に返すときにも「鈎の名のまじない」を唱えて海幸を屈服させる。

全てが「鈎」をめぐる事件なのである。

この「ハリ」は鹿児島語では「ハイ」と発音する。

隼人の「隼」もまた同じく「ハイ」で、

この物語りの「鈎」は「隼」のパロディなのである。


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