2012年8月23日木曜日
壹與の豊富多彩な歴史記録
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録14:22頁
《壹與の豊富多彩な歴史記録》
「壹與の豊富多彩な歴史記録」
次に、
大田田根子も長尾市も倭迹迹姫も、
全てオオヒルメ・壹與と同じ人物だとわかった。
① すると壹與は神武東征の花形・八咫烏こと賀茂の建角身の命=武茅淳祇の娘で、
神武東征に参加した天の種子命である。
こうすると『記・紀』の謎の解明が飛躍的に可能になる。
② さらに補足すると、
武茅淳祇は崇神天皇紀の武埴安彦だから、
神武天皇紀の神武天皇で、
五瀬の命で、位宮その人でもある。
壹與は位宮の実子ではないから、養女だとわかる。
③ また壹與は大田田根子であり長尾市で、
大物主と倭大国魂の祭主になって、
内外に平和をもたらした。
これは壹與が女王になると国中が収まったというあの史実である。
すると彼女は卑弥呼の宗女だから、
大物主は卑弥呼、
大物主とはダイブツのアルジ=大仏の庵主。
倭大国魂とはウワイの倭(ウォー)の国王の霊魂でこれも卑弥呼。
戦乱が収まったのは、
壹與が宗女として仏式で卑弥呼らを弔(とむら)ったからだったということが、
これで詳細にわかる。
④ 壹與はまた武内大臣=武内宿祢の娘だともいう。
彼女は確かに神功皇后でもあるから武内宿祢と行動を共にしている。
この親子関係は上記のものを考えに入れなくても、
武内宿祢は「竹取の翁」に当り、
壹與は赫夜姫で、
義理の親子だったことが更によくわかる。
⑤ 百済が壹與らの祖国だったことで、
『三国史記』の解釈の誤りを正すことができる。
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